前回の記事を書いてから早くも3週間が経ちました。
色んなことがありすぎて、身も心も疲弊し切っていますが、順に書き記していこうと思います。
義母のこと
義母との出会いは13年前。
初めてオーストラリアに来た時の、ホームステイ先のホストマザーが義母です。
明るくて、強くて、ユーモアがあって、
この家族の太陽みたいな女性です。
出会った時はまさか本当の家族になるとは思っていませんでしたが、
当初から「my Japanese daughter」と気にかけて、本当の家族のように接してくれました。
小雨の降るプールの中で、ワイン片手に一緒に泳いだこと。
長女が生まれる数週間前に日本にやって来て、かなりのプレッシャーを感じたこと。
一生懸命、長女をあやしていたこと。
乳腺炎になった時に、キャベツの葉っぱをもってきてくれたこと。
初めての子育てに四苦八苦している時に、マッサージしてくれたこと。
いつも実家に行くとワインを勧めてくれたこと。
日本で食べた「シソのてんぷら」が忘れられなくて、自宅で栽培を始めたこと。
日本の温泉に一緒に入って背中を流したこと。
満点の星の下で、一緒にワンちゃん(Elly)の散歩をしたこと。
「孫たちが大きくなったら、湖の周りで一緒に自転車に乗るのを楽しみにしている」と話していたこと。
ロックダウンの時は、遠隔で絵本の読み聞かせやクラフト講座を開いてくれたこと。
2人育児にてんてこ舞いになっている時、手料理を持って来てくれたこと。
一緒に行った旅行(タスマニア、サンシャインコースト、バイロンベイ、エミューベイル)。
特に子ども達が生まれてからは、日常の何気ない様子を報告したり、成長を喜び合ったり。
夫の愚痴を言ったり....
いるのがあたりまえだった大切な義母です。
最期の3日間
ドクターに「あと数時間でしょう。」と言われてからも昏睡状態で眠り続ける義母。
子ども達も何度も病院に連れて行くことができ、寝ている義母の隣でご飯を食べたり、お昼寝したり。いつもと変わらないようなゆったりした時を過ごすことができました。
もしかして奇跡が起きて、復活するんじゃないかと淡い期待を抱いた3日目の深夜。
義父に見守られながら静かに息をひきとりました。
朝、起きて来た長女(ひめ)に、義母が亡くなったことを伝えました。
伝えた瞬間から、涙が止まらないひめ。
「死んでほしくない!生きててほしかった。」
「ママもパパも死んでほしくない。」
「ひめも死にたくない。」
と1時間ほど泣き続けました。
死を理解できる4歳児と違い、全く理解できない2歳児ぽぽ。
「おなかすいた〜!!」とわめくので、朝食を食べているとひめの涙も止まったようです。
葬儀までの時間
オーストラリアでは遺体が自宅に戻ってくる習慣はなく、葬儀までの間は葬儀場で保管されているそうです。お通夜のようなものはなく、葬儀までは遺体に会うことはできませんでした。
葬儀の段取りを決めたり、葬儀で使うためのスライドショーを作るのに、大忙しの夫や義弟、義父。義父のショックが強くて、あまりに感情的に泣くので、人の感情を感じやすいひめは悲しくて再び涙。
できるだけ日常に戻そうと、ひめはキンディに連れて行くことにしました。
日中は実家で買い出しや家事をして、ずっと動き回っていたので、疲れが出ていた頃。
ひめの発熱。まじか...
葬儀の前日だったので、ヒヤヒヤしながら、看病していました。
葬儀の日
微熱になっていたものも、朝から嘔吐のひめ。
「葬儀にいけないかも...」と思うほどぐったりしていましたが、昼頃には回復してきたので、連れて行くことにしました。ほっ
「今日はミム(義母)のお葬式だよ。ひめは具合悪いからママが抱っこするから、ぽぽはパパに抱っこしてもらうんだよ。」とぽぽに伝えると、
「ぽぽはミムといっしょにねる!」と言うので、??と思いながら、
「ミムはどこにいるかわかる?」と聞くと、
「ぼーいん!(病院)」と元気に答えてくれました。せつないね...
葬儀も終わり、義母が好きだった百合の花をスーパーで買って来て飾りました。
子ども達の写真や動画を義母に送るのが日課になっていたので、送る人がいないこの寂しさ。
65歳。
まだまだやりたいことが沢山あったのを知っているし、まだまだ長く生きていてほしかった。
子ども達の成長を一緒に喜び合いたかった。
May rest in peace.
Love from your Japanese daughter