コロナ禍の終末期

義母の癌が発覚してから3年3ヶ月。

骨転移のあるステージ4という診断が下されたのは次女の妊娠が発覚したばかりでした。

 

抗がん剤治療、放射線治療、免疫療法。

あらゆる治療法を試したこの3年。

 

入退院を繰り替えしながらも、たくさんの時間を一緒に過ごして来ました。

(この先は個人的な記録と悲しいお話なので、読みたくない方はそっとページを閉じてください。)

f:id:sichigoichie:20210414200538j:image

今年に入ってからは、階段から落下し首の骨を折る重傷を負った義母。

奇跡的に骨以外にダメージはありませんでしたが、ベッドで生活する日々が続きました。

 

この数ヶ月は癌が骨転移している箇所の痛みが強く、「もう終わりにしたい」と漏らすことも度々ありました。

 

そんな義母にマッサージをした翌日、

「昨日マッサージしてもらったところが痣になってる。きっとまた血小板の数値が悪くなってるから、輸血してもらうね。」

と血液検査を受けに行ったのが3月17日。

 

検査の結果、血小板だけでなく他の数値も悪くなっていたので、すぐに入院となりました。

ロックダウンと面会禁止

そのまま、また数値が良くなってイースターには自宅に戻れるかと思っていた矢先、ブリスベンのロックダウンが始まりました。

 

ロックダウンは3日で終わったものの、病院は面会禁止が続き、そのままイースター休暇が始まってしまいました。

 

会えない日々が続く中、義母の容体は徐々に悪化。

 

義父が病院に掛け合い、なんとか義父だけ面会できるようになったのが、4月4日。

電話だけのやりとりでその後の1週間を過ごすうちに、義母の痛みはどんどん悪化し、なんとか面会を求めるも、許可が出ず。

ようやく義父以外の面会許可がでたのが4月12日。

最大2人までの入室が許可されました。

 

まだよくわかっていない2歳のぽぽを義弟に預け、もうすぐ5歳のひめを連れて病院に行きました。

 

私たちの会話から何かを感じ取っているひめ。

ここ数日は「悲しい」と言って泣くこともあったので、「もう義母(ミム)と一緒にいられる時間は少ししかないこと」を伝えました。

 

「もう病気は治らないの?」と聞くので

「そうだよ。」

「もうずっと?」

「そう、もうずっとだよ。」

と伝えると泣き始めたひめ。

 

「悲しいね。ママも悲しい。みんな悲しいよ。

だから、できるだけ今はミムと一緒にいようね。」と伝えると泣き止みました。

 

隣に寝転がりながら一緒に話をし、写真を見ているとそのまま眠ってしまった義母。

この日はそのまま病院を後にしました。

 

夜、お風呂に入りながら、

「ミムは死ぬの?」と聞くひめ。

「そうだよ。」

「死んでほしくない。」

「そうだね。ママも死んでほしくないよ。」

 

少しずつ、今の状況を彼女なりに理解し、悲しみを感じてはいるようですが、大人のように悲しみは持続せず、すぐに切り替わる様子。 

4月13日

子ども達を連れて来てほしいという義母。

 

「ぽぽもびょーいんいく!ミムにあいたい。」と言うので、ぽぽも連れて行くことにしました。

 

いつもipadでゲームをしたり、テレビを見ながら義母と過ごしていたので、いつものように義母のとなりに潜り込みリラックスするぽぽ。義母も嬉しそうにぽぽを抱っこしていました。

 

その後は「おなかすいた〜!」と言いながらお見舞いの品を食べ、カウチで眠りに落ちたぽぽ。唯一何もわかっていない2歳児にみんなが笑顔になります。

 

人数制限をオーバーして入室していたので(ナースは黙認してくれていた)、病院のマネージャーに怒られ帰宅することになりました。

 

家に戻ると、どっと疲れが出てきます。

何もしていなくても涙が出てくる。

 

私の涙をみたぽぽ。

「これなに?ないてるみたい。」

手で私の涙を拭って、

「ついちゃった。」

2歳に癒される。

4月14日

私は病院に行かず、実家の掃除をしたり、片付けをしていようと思っていたら、メルボルンから飛んで来た義母の友人が、オーストラリアでは、死後、自宅に一旦戻ってくる習慣がなく、そのまま葬儀場へ運ばれると教えてくれました。

 

そして、「棺を開けて顔を見れるようにするかどうかも、家族によって違うから、もう会うことができないかもしれない。」というので、ぽぽがお昼寝をしているすきに、ひめを義母の友人に預け、病院に向かいました。

 

すでに最後の特別室に入っている義母。

薬の追加しながら痛みをコントロールし、眠りに入っています。眠っているようでいて、たまに目を開けてみんなの話を聞いているようです。

 

ここでは人数制限がないのか、家族みんなが集まっていても何も言われません。

 

最後の時間を一緒に過ごす、特別な時間でした。行けて本当に良かった。

 

今晩は病院に泊まっている夫。

明日も義母に会えるかはまだわかりません。

 

もう最後は病室に子ども達を連れて行くつもりはありませんでしたが、

「もう一回ミムに会いたい。」というひめ。

 

義母が大好きなひめなので、

死を怖いもの、と捉えてほしくなく。

 

どうするかはまだわかりませんが、明日また考えようと思います。

 

義母が痛みなく、眠りにつけますように。

コロナ禍の終末期

ロックダウンから面会禁止がとても長く感じた2週間。

 

ルールだから、

みんなの命に関わるから、

と納得できる反面、

 

会えない日々に、

手助けをできない日々に

もどかしさを感じました。

 

今、世界中で最後の時を家族と一緒に過ごせない人がいることにやるせなさを感じます。

 

どれだけ心細く、

どれだけ無念か。

 

1日でも早く、多くの家族が必要な時間を一緒に過ごすことができますように。